子育て幽霊

 ある日、子どもが腹の中にいる庄屋のお嫁さんが、家の近くのこびらを歩きよったら、運の悪いことに屋根からかわらが落ちてきて、それが頭にあたって死にんさったと。
 庄屋さんは、びっくりして悲しゅうてならんだったが、農繁期のことでもあり、みんなに迷惑をかけたらいけんので、三途の川の渡し賃、六文銭を入れて、その日のうちに葬式をすませて墓にとめたんじゃ。

 それからしばらくして、庄屋さんが田に水をあてようと飴屋の前を通りかかると、店の前に、自分の家の紋がついた羽織が干してあるのが見えた。
 「こりゃあ、うちの紋だ。この羽織は女房が死んだときに着せてやったものじゃ。」
 びっくりした庄屋さんが、飴屋の主人に聞いてみるいと、
「外が暗うなる頃になると、一文銭を持った女の人が飴を買いにくるんです。不思議な女の人じゃと思っていたら、ある日、一文銭がなくなったから、この羽織で飴を売ってやんさいと頼まれてね。
 まあ、どこか病人のようでもあるし、どうでも飴がほしいというから、気の毒になってこの羽織を買ってあげたんです。」

子育て幽霊 この話を聞いた庄屋さんは、半信半疑で親類や近所の人を集めて墓を掘ってみんさった。そしたらそこには、赤ん坊を抱いた嫁さんがいた。
 「そうか、子どもが生まれとったんか。この子はりっぱに育てるけえ、安心せえ。」
 庄屋さんが言うと、嫁さんの首が、がくっとうなだれたんよ。
 この墓のことを「うぶねの墓」ちゅうんじゃ。
 「うぶ」は、産湯の産じゃろうなあ。
 こうして墓の中で生まれた子は、お坊さんとして育てた方がよいということになって、高津の教西寺にあずけられてお坊さんになった。
 これが後の学僧、大厳和上というお坊さんなんじゃが、十八才頃まで教西寺で育てられた。
 それからは、邑智郡市木村にあるお寺で修行したあと、江崎にあるお寺から招かれてそこの住職になりんさった。
 吉田松陰先生のお母さんも何度も何度も教えを受けられるほど、世に評判の高いお坊さんになりんさったんじゃ。
 書かれた本は二十巻もあり、仏教大字典に載せられているんじゃ。
 高津の教西寺の境内には、「大厳和上生誕の地」という石碑があるんじゃが、今でも本当の話として伝えられているんじゃよ。

さしえ 高津小2年 M・O
語り手 世良テイ(高津)/ 田中克弘(高津)/ 秋吉直幸(乙吉)

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